初代田村さまから



2004年1月6日に、当会第一期の田村様からメールを頂戴いたしました。
「誕生秘話」「審査会出場」「女子部員達」を御覧になった田村様の寄稿という形で、了承を得、メールの内容をWEB上に転載させていただくことになりました。
尚、WEBに掲載する都合上、一部改変させていただいております。(管理人)



初めまして。
たまたま仕事の合間に、インターネットで一九会道場の事を検索していたら、早稲田の気の研のことが出ていたので思わず、覗いてしまいました。

第一期の田村です。 一番最初に第二中国語クラスのクラスメートだった田代に誘われたのが、私。
それから、同じくクラスメ−トだった平松・平賀、私と蛍法会で知り合いだった高橋、高橋のクラスメートだった小山の6人で一年生の終わりから始めました。いわゆる初代はこの6人です。役員は、皆で持ち回りでした。もちろん、田代は別格でしたが。
別に差別するつもりは無いのですが藤葉君は、気の研が軌道に乗った三年の終わりくらいに入ってきましたので、草創期のメンバーとは言いがたいかな。悪しからず(^^)。

いろんな事がありましたが、やはり、一番の思い出は、合宿、それも一番初め(2年の夏休み)の長野県での灼熱の地獄の合宿。
中学・高校と体育会系ではなかった私にとって、死ぬほどのカルチャーショックでした。
クラブの設立・運営に情熱を傾けていた私にとって、せっかく入った一年下の新入部員達が辞めてしまうのではないか、という危惧が大きかったのです。この件で、合宿打ち上げの後、田代と大島先生の前で激論した事を覚えています。

> それに加えて、更に、クラブ初期のころは、世間の趨勢として以下のような背景がありました。
>  ○「燃えよドラゴン」等、ブルースリーをロードショウで見た世代
>    →世間が、格闘技に興味
>  ○森田健作の「俺は男だ」の再放送を見て育った世代
>    →男性だけではなく、女性も武道に興味

と書いてありましたが、もうひとつ、この頃「花の応援団 どおくまん著」代表されるばかばかしい体育会系根性しごき(いじめ)を是とする風潮があり、当然それに拒否反応する若者もいたわけです。
更に、今は知りませんが、なんせ、クラブ会費が合気会の8倍(当時、気の研4000円、合気会500円/月額)でした。
現に、この後、退部者・もしくは練習に出てこなくなった者が続出しました。
と言っても、最初からそんなに多い人数ではなかったのですが、かなり有望な1年生が合気会に移った事もありました。
結果として、去るものは追わず
道場の確保も真剣な課題でした・・・・。

> 彼らが最初に稽古したところは、現在の理工学部道場の建物があった場所の裏に存在した道場だそうです。
> 掘っ立て小屋みたいなという表現がぴったりで、2,3回前受け身をとると壁にぶつかって、飛び受けを派手にやると天井にぶつかる、そんな道場だったそうです。

そう、そのとおりでしたよ。もちろん、新設になった道場も覚えていますが、あの道場が今でも一番懐かしい。もう、4年の頃には取り壊されましたが。
午前中の練習が終わり、理工学部の中村を残し、いや、昼飯を食いに彼もついてきたかな・・・、疲れたなーとか言いながら、ぶらぶらと皆で早大本校舎に向かって歩いていったのが今でも目に浮かびます。食事は早稲田通りに面した「カロリー」というレストランのランチが定番でした。

ちなみに、4年になってあまり稽古に行かなくなったというのは、若干誤解です。ただ、どちらかと言えば、3年の11月に田代の手引きで一九会の初学修行を受け、そちらに心惹かれた事があります。4年での皆との思い出は、だから、一九会の方が多いですね。

さて、駄文もそろそろ終わりにしますが、一番嬉しかった事を書いておきます。
卒業間近、季節はずれの小雪が舞うキャンパスで、途中で辞めた1年下の後輩から呼び止められました。彼が、「辞めるかどうか、田村さんに相談したかったのですが、休みで北海道に帰られてしまってました。結局辞めちゃいましたけど、先輩達と気の研やっていた時が、結局一番楽しかったです・・・。」ちょっとほろ苦い思い出でもありますが、なんとなく胸があったかくなりました。

僕ら初代も年賀状のやりとりだけになっています。でも、今はそれで良いのではないか、と思ってもいます。今年、僕らの大半は年男です。
まだまだ、現実世界で戦わなければならない年です。もちろん、チャンスがあれば、懐かしいしあの頃の皆と会いたいと思いますが。

最後に、ぼくの知っている人たちの消息をお伝えします。
田代は、警察で小平に住んでいます。
小山は三井信託で西宮。
高橋は、住友電工で、今フィリピンにいます。
女性の高橋さんは、専業主婦で高校2年と、中3のお子さんがいます。初代女性陣(大妻組)は行き来されているようです。
私は、野村證券に6年半勤めた後、メリルの法人部やロイターの関連会社、UBS等の外資系証券にちょうど15年勤め、いったん野村に戻って昨年9月から、ゲット證券というべんチャー企業に勤め、上場させるためにがんばっています。

・・・ほんとに、懐かしかった。又、疲れたときにでも覗いてみます。

なんとなく、思い出しつつキーを打っていたら、はまってきました。

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