女子部員達

なんとなく、思い出しつつキーを打っていたら、はまってきました。

 過去にこだわることより、個人と所属する社会の将来のために戦わなければな らない。僕らOBは皆それぞれの立場で切磋琢磨しています。
 でも、人間弱くて、挫折感とか、なげやり感とか、ものごとに直面したときの 不安感とか・・・、それを日常的に持って生きている。(ちょっと難しくて申し訳ない。感動とか達成感も多いこと、付け加えておきます。)

 そんなとき、大学時代のクラブでのつらいことを思い出します。振り返ると、 そう言えばそうだったと思い出すことがある。力が湧いてくる。忘れていたこ と・・。

永遠に続く太刀振りに耐えたこと・・

二度と出来ない一九会のみそぎ・・
「氣を出す。」の言葉・・
自分を飽きっぽいと思ってたが、結局、4年続けた合気道・・・

温故知新とまではいかないが、自分のためにももう少し、キーを叩いてみようと 思います。




○女子部員達

 今回は、クラブが伝統あるものになった大きなおおきな要因の一つについてで す。クラブ初期のころの女子部員達がテーマです。

 合気道は、一般にどういう印象をもたれているか?意外ですが、薙刀と同じく 女性の武道と思っている人が結構いますね。しかし、内容は厳しく、厳格であり、体力を要し・・・、決して軟弱なものではありません。

 ただ、試合はなく、また「合する」が他の武道に比べて強調される特徴があります。客観的に見て、これらが、女性にも受入られやすい理由でしょうか。 男性が圧倒的に多いが、たしかに、女性が参加している割合は他の武道より多いですね。

 それに加えて、更に、クラブ初期のころは、世間の趨勢として以下のような背 景がありました。

 ○「燃えよドラゴン」等、ブルースリーをロードショウで見た世代
   →世間が、格闘技に興味

 ○森田健作の「俺は男だ」の再放送を見て育った世代
   →男性だけではなく、女性も武道に興味

 本題ではないので、わかりやすい代表例を上げるに止まりますが、つまり、武 道をやってみようという人の幅が結構広がった背景があったと思います。実際、そのような背景を受けて、1970〜1985年ころはは、武道の団体が多数創立されました。気の研究会もその一つでしょう。(もちろん、実力のある指導者にめぐまれたことが一番の理由と考えますが。)

 武道への興味を引くような出来事がいくつかあったこと、武道をやるための手段が増えたことが相乗効果となり、潜在的な武道ブームだったということです。だから、当該クラブも部員がいつの間にかありがたく増えた・・、で、女子部員も多かった、と、感じてます。

 ここで、ちょっとひとつの数字を披露したいと思います。OB会名簿を懐かし さに浸りながらながめてみると・・

 創立の代〜4代(年次)  25名(内女子  4名)
   2代〜5代     23名(内女子  4名)
   3代〜6代     32名(内女子 10名)
   4代〜7代     39名(内女子 13名)

 残念ながら連絡が取れなく名簿に載ってないと思われる人、途中から入部した 人、途中で退部した人等、更に、卒業後、大学に残った方もおられるため、実際の稽古をした数はもっと多いと思います。すごいでしょう!

 で、ようやく本題です。
 創立から、2,3年を支えた女子部員として語りたいのは、やはり、年次で第 2代の大妻女子大の4名の先輩達です。OB名簿には、旧姓平岡さんのみ掲載されていますが、実際は4名の方が在籍されていました。 (他に、先輩に文学部の女子部員が在籍していたこともあったようですが、おそらく、途中で退部されていると思います。)

 改めて、ご紹介させていただきまますと(名前拝借、勝手に失礼!)、

です。(旧姓と現姓がまじっているかもしれません。申し訳ない。)

 あのー、ちょっとこっぱずかしいこと言いますが・・・、大変、綺麗な方達で した。いや、その、当該クラブの女性は皆さん綺麗だとほんとに思ってます!、ほんとです! ただ、もてない大学時代、僕らはほんとに彼女達にあこがれてました。

 この4名の女子先輩達は、当該クラブで今は当たり前と思われていることにつ いて、貴重な功績を残しています。

 ひとつは、初の女子部員の早稲田祭演武への参加です。これは、早稲田祭に来 場した多くの人の足を止める大きな力となりました。稽古量はそれほど多くなかった当時、更にもまして女子部員については、(言い方は悪いのですが、) 合気道の実力はやや下にみられていました。そういう状況もあって、先生や幹部の方々の意向で、女子部員の方々も演武に出るとなったとき、彼女達は大変驚いていたようです。 (彼女達が3年の時だったと思います。)
 でも、結果はすばらしかった。短刀取り等の難しい演武もこなされてかっこよ かった。このことをうけて、翌年からは、早稲田祭への女子の演武出場は当然とこととなったのです。
 追記で、出店の方の切り盛りも彼女達の功績は大だったこと伝えます。これ は、想像出来ますよね。そもそも、こういうたぐいのこと、男子は苦手なんですから。これこそ、今も継承されていることと察します(風の便りで、今年の早稲田祭中止の報は聞いてますが・・)。

 もうひとつの功績は、女子部員の合宿への参加です。これは、紆余曲折があっ たようです。先生も幹部もそして本人達も参加に悩んだようです。なにせ、僕らの中では伝説の大島先生の合宿だったので・・。
 彼女達が3年から4年になるときの春合宿でしたね。アントラーズで有名にな った鹿島の方で行われました。
私事ですが、実はこの合宿、僕にとっても初めての合宿でした。いやー、きつか った、きつかった。こんなこと、卒業まで続けられるのかと思った。でも、女子先輩もがんばること、がんばること。必死でついて行きました。そして、次回の合宿から、女子部員の参加も当然となった。

 稽古以外でも、お世話になりました。今考えてみると、ほんとうに信じられな い。2年上の女性の先輩であるのに、飲み会に参加させてもらったり、また、夏休みに東北の方への旅行にもご一緒させていただいた。 こういうところ、わたしが卒業した後も、知っている限り文化として続いたように思います。
 彼女達が卒業されるときは、ほんとに残念でした・・いや、これこそ、私事か も。

はっきりしなくてもうしわけないですが・・、改めてご紹介します。(どなたか直して)


平岡さん
 卒業と同時に、即、ご結婚されました。卒業の頃、ほんとに幸せそうで輝いて いたことが印象的でした。

亀山さん
 銀行関係?に就職されたと記憶してます。年賀状で、ご丁寧に結婚することの ご連絡いただきました。

高橋さん
化学品製造メーカ関係?に就職されたと伺ってます。結婚されて、神戸のほうに住まわれていると伺ってます。

石崎さん
申し訳ない、どうされているのでしょうか。鳥取の方のご出身で、そちらのほうに戻っているのかなぁ。

−−−−

 あと2,3程、僕らが当クラブにいたころの女子部員の皆様方について記させ て下さい。

 先の4名の女子先輩達の入部のいきさつについては、僕もよくわかっていない のですが、おそらく、彼女達、2年目のときくらいからの参加ではないかと思われます。

 では、初めて4年間、しっかりと当クラブをやり通した最初の女子部員のご紹 介です。それは、僕らの一つ下の代の今井さんです。ご結婚されて、今は上野さんです。たいへん、めんどうみがよく、裏方女房としてよくやってもらいました。女子部員のまとめ役でした。彼女が入部してからより、女子についても毎回の稽古に参加することが当然となったような気がします。また、彼女の家にもみんなで押しかけ、彼女の母上にも大変お世話になりました。

 彼女とほぼ、入部は同じく、入部してきたのは鈴木樹里さん。年次は、僕らと 同じです。彼女は、早稲田大学の女子の学生として、初めて、当クラブを卒業した女子部員です。
 その後、年次としては僕らと同じになる文化女子大学の伊草さんが入部されて、女子部員なくしては・・、と、いうクラブになりました。

 私の知っている限りの卒業後ですが・・・、(これ、10年前の情報です。)
  今井さんは、情報システム関係に就職されました。
  鈴木さんは、自己留学で米国へ!(さすがにもう帰国されていると思います)
  伊草さんは、得意のセンスを活かして、森英恵に就職されました。

 実を言うと、いいことばかりではなかった。ひとつの悲しい事件があったので す。僕らが2年の時でした。

 実を言うと、今井さんの代には、もうひとり稽古に熱心な女子部員が在籍して ました。。しかし、稽古で、受け身を取り損ねて鎖骨を骨折してしまったのです。入院までする事態となった。当時の幹部であった土屋さん、古橋さんは大変だったようです。我々も何度か見舞いに行きました。ご両親も、四国のほうから上京されてきた。
 結局、ご両親の反対もあり彼女は退部となってしまいました。苦々しい事件で した。はじめて、稽古における重傷者を出してしまった出来事でした。女子部員の間でも、不安があったと思います。でも、皆、克服した。雨降って地固まっ た・・・。

話し変わって・・。
 今井さんの次の代は、女子部員が大変多く入部してきた代です。男子が2人に 対して、女子は、7名、いや、すごい。合宿や早稲田祭、皆、よくやってくれました。

 この代が入部したとき、僕らは3年、幹部の代でした。
このころのトピックとして、原町道場(いまもあるのかなぁ?)に有志が朝稽古 に行く習慣が始まったことがあります。
 今だから言えるるのですが、本来のクラブの練習ではなかったこともあり、紆 余曲折がありました。実を申しますと、最初に朝稽古に通い始めたのは、幹部であった僕らの代より上の先輩達と新入部員の女子部員でした。その女子部員とは日本女子大の淵上さんと田島さんです。たいしたものです。
 いや、いま思うとはずかしいのですが、幹部より練習しているものがいるとい うあせりがありましたね。で、結局、僕らの代も通い出した。先輩達へのライバル意識というより、新入の女子部員に対するプライドでした。で、それが、下の代の男子部員にも波及し続いた。

 朝稽古の件は、ここでは書けないほど、幹部の中での議論となりました。しか し結果として良かったと思います。自分達がやっているときは気が付かなかったけど、卒業後振り返り考えてみるとクラブへの効果は大だった。

 まず、他大学に負けないほど、練習をするクラブになってました。次に、その 効果は、体技審査という場に確実に成果として出たと思います。時間はかかりましたが・・・。この原動力の一つになった朝稽古は、新入の女子部員が始めたことを伝えておきたい




 以上の私の長いメッセージは、現役の皆さん稽古をたくさんして下さい!とい うものではありません。それぞれの事情でクラブに参画しているのですから、環境的に稽古をたくさんできる人、出来ない人、また個人の考え方として稽古をがむしゃらにやる人、適度にやる人、また、稽古以外の活動に力を入れたい人、それはそれぞれと僕は思います。

 ただ、これはだけは、皆で共有して欲しい。まず、自分、次に、自分のいる組 織に誇りを持てるようになってください。ここでは、自分のいる組織とは当クラブです。そのためには、仲間意識、ぶつかり合い、その中から育つ文化が必要です。 当クラブの文化には、初期の頃の女子部員達のがんばりが大きかったことを伝たえたいと思い、長文となってしまいました。

また、思い出すことがあったらキーを叩きたいと思います。
がんばってください。

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