体技審査会
先に送ったメール、半角が混じっていたようで、文面がおかしくなっているやも知れません。申し訳ない。


 

今回は、体技審査会のことです

○体技審査会
 未だに、現役の方々から体技審査会の通知をいただき、 ほんとうにありがたい。通信費もばかにならないと思い ます。今後は、ほんとうに電子メールでOKですよ! (これも、時代の変化を感じます。)

 当クラブは、他大学に比べて体技審査会への参加は遅 かったと記憶してます。私が、2年のときが初参加です。  つまり、初代は、体技審査会は経験してません。クラ ブが、若かったため、団体戦参加者も集まらなかった、 有段者が極めて少なかった等が理由でしよう。

 私が現役のときに、2,3,4年と計3回、体技審査 会に参加しています(個人的には、卒業後、一度参加し ましたがそれは別として)。

 その内の2回の内容ははっきりと憶えています。 どちらも当クラブにとって、記念すべき大会でした。

 一つは、私が、2年のときの大会です。 場所は、代々木八幡のオリンピック?なんとかにある体 育館でした。現在は、気の郷で開催されるそうですが、 当時は、代々木八幡が、気の研究会心身統一合気道をや る者の、甲子園、国技館、神宮球場みたいなものでした。

 この2年のときの大会は、当クラブが参加した最初の 大会です。
ようやく、クラブらしいかたちが出来てきて、当時の早 稲田担当の島谷先生の勧めで参加した記憶があります。

 団体戦のみ出場しました。実を言うと、ほとんど、練 習をしてませんでした。団体戦6名、練習に人が集まら なかったというのが真実です。

 結果は・・・・? 当然、入賞せずです。先生が、君 達は、4位だよ、と、言ってくれましたが、ほんとかど うか・・・(後に、6位まで入賞となり、真実がばれる のも困ったものですが)。

 でも、これは、クラブにとって、大変プラスとなりま した。早稲田祭以外のひとつの目標が出来たのです。他 大学を見れたのも大きかった。東大、都立大、東工大、 鶴見大、そして、慶応義塾・・・。

 この時より、当クラブにひとつの年間イベントが増え て、さらなるクラブのかたちが出来ていったと振り返り ます。

 二つ目によく憶えている大会は、学生最後に私が出た 大会です。つまり4年のときの大会です。

 (前後しますが、3年の時の大会も、あまり目立った、 成績は残していません。)

 この4年のときの大会は、、団体戦、個人戦、両方の 参加となりました。

 実を言うと、私が入部した1年から卒業までの間、部 員には恵まれました。私の卒業した年は、18名という 卒業者がいたことを記憶してます(マスタ−、短大の女 子も含めてですが)。
 だから、体技審査会の参加も、豊富に組を作ることが 出来ました。団体戦は、最後に多人掛けの例のやつ、個 人戦は太刀取りだったかなぁ。

 たしか、この年は、予選がありましたね。夢の島の方 の体育館だったなぁ。このときは、皆、ミスするやら、 なんやら。でも、皆、予選通過。いや、全員、予選通過 する予選でした。

 その後、本戦に向けて、ほんとうに練習した。練習日 が、火、水、木、土しかないのに、毎日、原町の道場の 朝稽古に通って、土曜日の夕方、丸山先生の受持つ、入 谷の方の道場にも行って・・。
 数えると、一週間に、クラブの稽古回数4回に加えて 7回の他道場での稽古をしたこともあった。よくやった。 皆もよくやった。

 さて、本番。

 団体戦は、最高の出来でしたね。個人戦は、個人とし ておごりもあったが自分も、他の部員も、練習以上の成 果でした。

 結果発表は・・・。団体戦・・入賞せず・・・・。 悲しかったなぁ、T大が入ってた。仲の良かった、都立 大、鶴見大も残念でした。優勝は、そのころ、(今も?) 一番の優勝候補であった慶応義塾でした。

 個人戦は・・・、なんと、なんと、なんと、入賞した のですよ。我々の代の主将の金野−井上組が(井上は、 一代したの主将です)、銀賞で!

 当クラブ、はじめての入賞! でした!

 しかし、団体戦に負けたのと、ほんとに練習練習稽古 稽古したけど、個人戦で結果が得らなかった個人的なく やしさが残り、帰りに立ち寄った高田馬場のサントリパ ブで、涙したこと・・。うれしいやら、くやしいやら、 にがにがしいやら・・。

 しかし、この経験が、その後も合気道をやってました! と、人に堂々と言える底になっているような気がします。

当クラブは、その後、体技審査会の結果報告の通知を拝見する限り、 団体戦も入賞、個人戦も、それだけではなく、金賞も!  また、女子も当然のごとく活躍するすごい部になったようです。

これまた、感慨深い。

#さて、営業に回ろう。

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